妄想江戸散策「あばよ会」

大学公開講座「物語をつくろう!では個性溢れる物語が生まれます。今回は梅林独居さんの作品。

物静かな「私」こと吉田和人と、お喋り好きな坂東賢治、紅一点の有村ゆかりは、かつての高校時代のクラスメート。六十余歳となった3人は、懐かしき青春の日々を振り返りながら、馬鹿話に花を咲かせて江戸を散策する “あばよ会”を楽しんでいます。そこに、不思議な影が…。驚きの展開、青春時代のときめき、老い先長い人生の楽しみ方も彷彿とさせる、ノスタルジア漂う作品です。

画像の説明

手をあげて此の世の友は来りけり(三橋敏雄)

 上野の山を不忍池に下りる崖の途中に、へばりつくようにその稲荷はあった。五條天神社・花園稲荷神社の境内の一角に、ひっそりと目立たない鉄の柵があり、勝手に開けて入ると穴稲荷という社がある。薄暗い、ほとんど洞窟と言って良いような通路を進んで左に折れると、簡素な稲荷が見えてきた。
東叡山寛永寺を開いた天海僧正が、すみかを失った狐たちを哀れんで祀ったものだという。小さなお宮さんと蝋燭などが散漫に置かれているが、ふと目を上げると、地上に通じる穴が空いている。大昔の狐の穴だろうか……。
 突然、私はなにか此の世のものではない何かが、こちらを見ているのを感じた。降りてきたと言うほど強い感覚では無いが、私は自分が同行者以外の誰かと一緒にいるのを感じた……。

 秋の始め、コロナが一段落したのを見計らって上野近辺を散策した。高校時代のクラスメート三人で、年に何回か江戸散策を行っている。メンバーは幹事役の板東賢治、有村ゆかり、そして私、吉田和人の三人だ。札幌の高校三年生だった日からすでに50年、幹事役で歴史好きの板東から解説を聞きながら、懐かしい青春の日々を振り返り、馬鹿話に花を咲かせながら歩くのは楽しいものだ。江戸のことを勉強するというよりは高校時代を振り返るノスタルジアの会というべきだろう。
 何回か前の散策で、板東が会の名前を三人の名字(有村・板東・吉田)の頭文字をとって〝あばよ会〟にしないかと提案したが、ゆかりが「なんだか研ナオコの歌みたいね」 と乗り気でなかったので、そのまま立ち消えになった。たいていのことはゆかりに決定権があって、食事場所なども彼女の嗜好が最優先だ。(私はカレー料理以外なら大丈夫。板東はダボハゼのようになんでも食べる)
 なにも言わなかったが、私はこの会名が案外気に入っている。井伏鱒二の厄除け詩集ではないが、
「……ハナニアラシノタトエモアルゾ〝サヨナラ〟ダケガ人生ダ」
と思っているし、七十歳が近づいてくる中、どうせいつか友人にもこの世にも〝あばよ〟と云うのが定めだから、逆説的に〝あばよ会〟と名付けて集まるというのも良いものだと。
 ふたりはもう忘れてしまったみたいだが、私は心の中で〝あばよ会〟と呼んでいる。

 板東はいつも通り喋り続けている。コースを決めるのも彼だから、歩きながらいろいろと説明してくれる。
「……結局は不忍池の向こう側、東大の辺りから佐賀藩が打ち込んだアームストロング砲が決め手となって彰義隊は総崩れ……」 と、穴稲荷からの坂を下りながら喋り続けている。
「あら、大砲打ち込まれてさっきの狐さんの穴はどうなったの?」
「なんで有村さんは、俺の知らないことをわざわざ選んで質問するのだ?」
 こんないつも通りのやりとりをしながら三人は弁天島に歩いて渡る。私は孫もいるお祖母ちゃんの顔になったゆかりを時々だまって見つめた。五十年前はセーラー服のよく似合う女子高生だったゆかりの顔にもそれなりの年輪が刻まれているが、私はその顔の皺を見るのが好きだ。こんなことは口に出せないが、色っぽいとさえ思う。直ぐ口に出す板東ならこんなことも云ってしまうのかもしれないと余計なことを考えていた。
 弁天島の北のはずれに不忍池に飛び出た小さな島がある。聖天島だと板東が説明してくれる。
「〝聖天は娘の拝むものでなし〟と江戸時代には云われていたようで、だいたい聖天さんは男女の抱き合った像が多かったんだってさ。まあ、有村さんもいまさら娘でもないからええか?」 と、相変わらず多弁な板東の指し示すほうを見ると、小さな島は柵があって入れ
ないが、島の真ん中の祠のかたわらに、お地蔵さんが立っている。池の方を見ているので地蔵の顔は見えず、後ろ姿だけだ。その後ろ姿がなんと男根のかたちそのものだ。
 なぜか少し下卑た話になると板東は、下手くそな関西弁が混じる。関西出身の奥さんにも下手な関西弁は止めなさいと言われるらしい。「 ほんま立派やな」 と笑いながら言う。私も仕方なく苦笑した。そっとゆかりの顔を伺ってみるが、さすがに平然としている。そりゃそうか、もう高校を出て50年だ。
「なんで板東はこんなものがあるのを知っているの?」 と私が聞く。
「このエロ地蔵さんは台東区が作った下町案内書にのっていた。不忍池界隈は時代劇にも出てくるけど、出会い茶屋がいっぱいあって、男女密会の名所だった。江戸の恋人たちの忍び逢う場所だったのさ……」
 その時、ゆかりが突然思いだしたようにポツリと云った。
「わたし、そう言えば二十代のころ、サッちゃんの伝書鳩したんだった……」
 サッちゃんと云うのは、二十年近く前に癌で死んだ三人のクラスメートだ。乳がんの積極的な治療をかたくなに断り、独身のまま死んだ。
 ゆかりによると、その彼女が二十代の頃、東京で妻子ある年上の男性とわりなき間柄となった。親の反対もあって実家のある札幌に引っ込んだが、ふたりの間柄は隠れて続き、忍び逢う関係の連絡役がゆかりだったとのこと。
 私はサッちゃんのことを考えていた。高校時代、彼女と私は帰る方向が一緒だったので、北大の牧草地を横切りながら手稲山の上に出る宵の明星をふたりで眺めたことが何度もあった。そんなに体格が大きい方でもなくグラマーでもないと思っていたのだが、ある晩方、下宿近くの銭湯に行った私は、たまたま番台越しに彼女の裸身を見た。別に覗いたわけではなく、目に入ったのだ。セーラー服からは想像できなかった大人の女性がそこにいた。
いまでも肩から背中、腰にかけての、しっかりと脂の乗った、サッちゃんの後ろ姿が瞼の裏にしっかりと焼き付いている。次に北大の牧草地を一緒に歩いたとき、私はなぜか無口だった。こんな話は本人にはもちろん、ゆかりにも板東にもしたことがない。
 再び板東が関西弁になる。「けしからん奴やな、その男も。結局遊んだだけなんやろ。でもなんか良かったような気もする。サッちゃんにもそんな恋愛があったというのは救いみたいな……」
 それに対してゆかりはなにも答えなかった。私は、伝書鳩と自嘲的に云ったゆかりのことが少し気になって彼女の顔を見た。ゆかりは池の水面にたくさん残る枯れた蓮の花を見つめていた。冬籠りの季節もそう遠くないことが景色から見て取れた。

 弁天島を後にして池の西側に渡った。途中、池の北の方向を指さしながら、板東が云う。
「高校の現国に載っていた鴎外の〝雁〟のなかで、学生の岡田が石を投げて雁に命中させたのはたしかあの辺りだよ」
「え、そんなの載ってたっけ?板東君は良く憶えているね」
 そのとき私も〝雁〟のことを思いだしていたのだが、なにも云わなかった。
 不忍池から離れて無縁坂のゆっくりした登りに入った。〝雁〟では巡査の目を逃れるため獲物の雁を外套の下に隠し持った岡田を真ん中に、三人の学生が雁鍋でも囲もうとこの坂を登って行く。岡田が通りかかるのを待って妾宅の前に出ていたお玉は、一人ではない岡田に声をかける機会を掴み損ね、これが一生の別れとなってしまう。
 不忍池からこんなに近く、しかも三菱の岩崎邸の石垣などもあったのだから、作品中、二人の出会いのきっかけとなる蛇が鳥かごを狙う場面も妙に納得がいく。彼女の家の設定はこの辺りかと道の右側を見るが、無粋なマンションが並んでいるだけだった。

 鉄門から東大構内を抜け、赤門から出て本郷通りに出た。
 古ぼけた喫茶店に入って三人でお茶を飲んだ。私はなんだか三人の他に、もう一人誰かいるような気がしてならなかった。湿った、饐えたような匂いのする店だった。今はあまり見かけない新聞や雑誌を置いている喫茶店だった。
 サッちゃんの話にひとしきり花が咲いたあと、高校時代の懐かしい話がつづいた。この会はいつもノスタルジア放談会になって終わるし、それが楽しみのひとつでもある。
 ノスタルジアが一段落したところでコロナの話になった。消毒で指先が荒れて困るという話をゆかりが始めた。板東がポケットから何かを取り出しながら云った。
「俺の使っている携帯消毒スプレー、臭くてさ」
 そう云って自分の左手の指先に噴射した瞬間、彼の右隣りに座っていたゆかりがなにも言わずに、板東の体の前を横切る形で、手をさっと伸ばして彼の左手首を捕まえて引き寄せ、指先を自分の鼻先に押しつけたのだ。そして男の指先を嗅いだ。
「たいしたことないじゃない。もっとひどいのもあるよ」 。板東も驚く風もなくなすがままだ。
 私は自分の喉が急に渇くのを感じた。あんな仕草はよほど親密な間柄でないとしないのではないか?なにか見てはいけないものを見たような気がした。あまり頭が回転しなかったが、このままこの会を続けていて良いのか、と一瞬思った。
 この本郷の喫茶店での出来事はなかなか頭から離れなかった。何かの拍子に、私は妄想した。ゆかりがその一見して良家の奥さま風の顔立ちを崩して、見知らぬ男の指先をなめ回している。ときどき私の方を見るがお互いになにも言わない……。

 十二月の初旬になった。次の散策のコースを打ち合わせるため、ズームで集まる事にした。海外でのオミクロン株のニュースもあり、先日の喫茶店事件のこともあって、なんとなく乗り気ではなかったが、参加した。
 いつも通り板東の提案のままコースはすぐ決まった。八丁堀から大川端に出て永代橋を渡り、深川を歩いて清澄庭園、深川芭蕉庵を訪ね、清洲橋を渡って人形町に出る。
 ゆかりが聞く。
「吉田君はトイレ近いよね。コースにトイレは沢山ある?」
「心得てまっせ。おまかせあれ」 と、板東は今日も調子が良い。
 ランチ場所はコロナ禍の中、本当は決めておきたいところだが、時刻があまり読めないので、甘酒横丁辺りで適当に入ろうとなった。板東が云う。
「有村さん、〝日山〟のすき焼きなんて云わんといてや。あれは高いわ」
「美味しければ何処でも構わないっていつも云ってるでしょ」
「何処でも良いは、どうでもよいではないからなァ」 と板東がぼやく。
 私はカレー料理以外なら何でもよいが、とくに口は出さなかった。というのも、どうせゆかり次第だという気持ちと、なんとなく勝手にしろと言う気分がしたのだ。
 それに、三人の他にもうひとり画面に映っている。これが先程から気になっていた。仄暗いそのイメージは、最初は誰とも判然としなかったが、よく見ると、サッちゃんだった。無表情だが、すこしほほえんだようにも見える彼女に二人はまったく気が付いていない。それとも俺の画面にだけ映っているのか?二人はなにも言わずに、人形町の卵焼きがどうした、寿堂の黄金芋はうまい、などといつもの会話をつづけている。
 それでは当日ということになり、ゆかりと板東はズームから退室していったが、画面の真ん中にサッちゃんが残った。

 私はおずおずと切り出した。高校を卒業してからほとんど逢うことがなかったので、なんとなく言い出しにくかった。
「元気だった?と言うのも変か?」
「……」
「このあいだの上野の散策の時も近くにいたよね?」
「……」
 再び答えなかったが、顔は相変わらず少しほほえんでいる。
「教えて欲しいことがあるんだ。前に本で読んだのだけど、そちらの世界では、すべての記憶がはっきりしていて、生きていた間に経験したことがまるでガンジス川の砂の一粒一粒を見るようにみんなハッキリと蘇るというのは、本当かい?」
「本当よ。自分の経験したすべての記憶が総天然色の高精細記録映画のように目の前に蘇るわ」
「じゃあ二人で歩いた北大の牧草地も見える?」
「秋の夕方だったから手稲山の上に金星が見えた。吉田君が教えてくれたのよ。高校の校歌の〝夕星のやすらひにこたへつつ……〟の夕星があれだよって。ついでに作詞の大木惇夫さんの詩をいくつか教えてくれた。〝雨の日の遊動円木落ちる銀杏葉ゆうかりの葉雀が吹かれて乗るばかり……〟」
 私もすっかり忘れていたことを鮮明に語ってくれる。調子に乗って聞いてみた。
「あの銭湯でサッちゃんの裸身を見ちゃったことも蘇る?」
「相変わらず馬鹿ね。それは吉田君の記憶でしょ。蘇るのは私の記憶だけよ。吉田君が見たものの記憶が、私に蘇るわけ無いでしょう。もし私が貴方の前で覚悟の上で脱いだのならその記憶は蘇るけど、そんなことはなかったし」
 なんとなく損した気持ちだったが、私はさらに聞いた。
「そんなにキレイに蘇るのなら楽しくてしょうがないね」
「それがまったく逆よ。つまらない。と言うのはね、すべての記憶はガンジスの砂粒のように同じ大きさ、平等で軽重は全く無い。だから楽しい想い出だとか、なつかしいな、とかは一切ないわけ。ノスタルジアなんてものもありえない」
「どういうこと?」
「だからね、ひとつの例で云うと、二十代の頃死ぬほど好きだったある男性がいるの。吉田君は知らない人だからXさんとするわね。このXさんの記憶と吉田君の記憶は、まったく同じレベルなのよ。もちろんXさんとは深い仲だったから高精細画像で蘇るシーンは多いわ。でも砂粒であることは吉田君とまったく同じ。すべて平等で軽重、優劣、善悪、美醜、一切の差がない。だからこの世界の私たちは、スパコンクラスの無感情記憶マシーンみたいなもの。つまらないわ」
「ノスタルジアは現世だけの特権か?」
「そうよ。ふるさとの風光。懐かしい父母。肩を組み合った友だち。甘酸っぱく、また苦い恋の想い出。そんなものはこちらには無い。ここでは、無限に並んだガンジスの砂粒のように記憶が蘇るだけ。私たちが高校生のころ、〝無明長夜〟と言う小説があったわよね。死後の世界は無明長夜かと思ったら、総天然色で明るくて闇ではないから違うのだけど、結局は似たようなもの。だから、ノスタルジアや想い出を大切にして欲しい。そちらにいるうちだけよ、ノスタルジアが吉田君をしっかり世界につなぎ止めてくれるのは」
「なに?つなぎ止める?」
「人を優しく謙虚にするのは、此の世に、と言うかそっちの世に、失ってはならない、かけがえのないものがあるという想いなのよ。そんな想いがアンカー(錨)となって根を下ろしている。それがノスタルジアなの」
「じゃあ、何でも執着したもの勝ちか?」
「駄目ね。いい歳をしてまだわからないの?大事なことは〝心の断捨離〟、くだらないこだわりや妄執を捨てること。自分のほんとうに大切なものは何かを見極め、それを大事にすること。だいたい今日はね、伝書鳩のゆかりに逢いに来たの。それが、吉田君が疑心暗鬼でドロドロの雰囲気だったからこっちに出たのよ。吉田君も、自分にとって大切なものは何か、しっかり見極めないとアンカーを失って漂流しちゃうよ」
 アンカーを失って漂流?……〝漂流老人〟という言葉が流行ったことがあった。最近頻発する同世代によるガソリン振りまきや、散弾銃ぶっ放し事件のことを思った。自分もそう遠くない所にいるのでは?……妄想老人から迷走老人、そして暴走老人……本郷の喫茶店での〝疑心暗鬼〟など、くだらない心の引っかかり程度の話で、あばよ会のありがたさに比べると取るに足らないことに思い至った。自分の中で思い込みがふくらみすぎると、他人や周囲の善意を疑い、お互いを尊重する気持ちが薄れて漂流し始めるのだろう。
 そんなことを頭の中で反芻していたら、ズーム画面のサッちゃんの姿は徐々に薄くなり、やがてすっかり見えなくなった。私は小声で呟いた。「あばよ……」

*****

 十二月の中頃、三人は深川芭蕉庵を後にして清洲橋の上にいた。北の方向にはスカイツリーが見える。南側には、つまり下流には先ほど渡ってきた永代橋が見える。
「今年は江戸散策、六回やったぞ」 と板東が云う。
「そうね。宣言のスキをみてなんとか頑張った方だよね」 とゆかりが云った。
「板東、来年も頼むよ。俺は半七や伝七、平次の舞台を辿る捕物帖散策もいいな」
「わかった。また連絡する。なんとか来年はコロナも収まってくれるだろう」
「本当よね。手の指紋も擦り切れて、もう無くなりそうだわ……」
 その時、冬の陽光にきらめく隅田川の水面を、一隻のクルーズ船がさかのぼってきた。鈍い銀色に光る平べったいカブトムシのような船だ。
 私たちは橋の真下をくぐる船を見下ろした。透明の天井板をとおして船内が見える。コロナ禍の影響かほとんど客は乗っていない。隅っこに独りで座っている女性の顔が見えた。
 その女性が私にはサッちゃんのように見えたが、二人はもうランチになにを食べるかで盛り上がっていて、まったく気が付かない。人形町の甘酒横丁はすぐそこだ。

冬籠りまたよりそはん此の柱(芭蕉)

(令和四年二月)

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